奥出雲 鍛冶工房 弘光

シェアする

神はかつて、この地に製鉄の技術を齎した。

今も鉄に関わる人々の守護神として金屋子神社に祀られる金屋子神。白鷺に乗ってこの地に現れ、桂の木に舞い降りて、製鉄法を伝えたといわれる。

金屋子神社

斐伊川(ひいかわ)流域から大量に採れる良質な砂鉄、豊かな森林から作られる木炭、炉を作る粘土という3つの条件が満たされるこの一帯では、和鉄を生産するたたら製鉄が興り、江戸時代の最盛期には全国の鉄生産量の7-8割を占めるほどの一大産地になった。

近年の護岸工事を経て今は静かに流れる斐伊川だが、実は長年、たびたびの水害で流域を悩ませてきた天井川である。

江戸時代にこの地で盛んに行われた砂鉄の採取が原因だった。岩石を切り崩し、川の流れを利用して砂鉄を採取する鉄穴流し(かんなながし)という手法で、大量の土砂を川に流出させていたため、下流域に頻繁に洪水を引き起こした。一時期、鉄穴流しは禁止されるのだが、鉄の需要に応えるために冬に時期を限定して再開される。農民たちは春から秋は砂鉄を切り崩した後の平地に田畑を耕し、冬は砂鉄採りに従事してこの地域の経済発展に貢献していた。

出雲縁結び空港から、いくつかの山を越えてすすむ。大きな産業が振興していたとは想像もできないほど静かな、森と田んぼの緑が延々と続く山道。

ふと、小さな集落が現れた。安来市広瀬町の古いまちなみである。

「鍛冶工房弘光」は、その入り口辺りにあった。

弘光

江戸時代、天保年間に比田村(現 安来市広瀬町比田)で創業した。いまこの歴史を受け継ぐのは10代目の小藤洋也さん。11代目を継ぐ息子の小藤宗相さん。妹の柘植由貴さん。

代々、工房では刀剣や生活道具、農工具を作ってきた。

道具

鉄を真っ赤に熱し、叩き、また熱して叩く。

無機質な鉄の塊がだんだんと表情豊かに変化していく様子は、見ている者にとっては面白いばかりだが、作り手にとってはその感触、色、肌などを見極める長年の勘を要する勝負どころ。まさに「鉄は生きている。」

小藤宗相氏

難しいシゴトこそ燃える職人魂。

工房で私たちを魅了する製品の一つ一つに、それは強く映し出されていた。

風鈴

宗相さんは細部を示す。燭台の裏側、部品の継手。

カシメ

溶接は極力使わず、カシメという技術を用いて部品同士を留めている。

他の伝統工芸にたがわず、またはそれ以上に、現代生活において鍛冶製品は必需品ではない。すべてが手作業のため、決して安価なものでもない。

歴史を引き継ぐ使命と現代のニーズとのはざまに揺れるジレンマは相当のものと慮られる。しかし、磨き抜かれた高い技術、美しさと丈夫さへの強いこだわりは決してゆるぐことはない。

手間をかけた仕事は長い時間を経たときの丈夫さが違う。ひとつひとつ叩いて鍛錬された鉄は、肌の美しさ、曲線のなめらかさがひときわ光を放つのだ。

燭台

透かし燈台

いま、鍛冶工房弘光の製品は、灯りと花器が主力である。

燭台、行燈の火は柔らかく心をいやす。

花器に生けられた草花が風にそよぐ。

花器

鉄という素材がこれだけ自然界の生命に溶け込み、ヒトの心を和ませることに改めて驚きを覚えた。

現代生活で必需品ではないと上述した。しかし、デジタルと時間と情報とに押し流されて生きる現代だからこそ、この柔らかな優しさを求めているのかもしれない。

小藤宗相さん、実は超多忙な方である。共通の知人にも宗相さんとタイミングが合うとはなんとラッキーなことと驚かれたほど。

制作活動をしながらも国内外の展示会に出展するため常に各地を飛び回っている。この日も前日に鹿児島から戻られたばかりだった。話をすることに慣れているためか、説明が上手で知識も豊富。時間を忘れて引き込まれてしまう。エピソードを交えながらのお話は楽しく、全国に宗相さんファンも多いことだろう。

柔軟な考えの持ち主で、ガラスや印伝、和ろうそくなど様々な分野ともコラボレーションし、新たなデザインにも精力的に挑戦している。

奥出雲の、まるで古から時が止まったように静かな山間に、確かに未来への新鮮な風が流れている。

古代から八百万の神と人々が共存する土地に、優しくも力強いエネルギーに満ちた職人のいとなみを見つけた。

<訪問先情報>

鍛冶工房 弘光