紀州漆器のまち 黒江

シェアする

「紀州漆器」といっても知らない方が増えています。
江戸時代、日本の漆器の三大産地(生産量)は、会津、駿河、紀州でした。

先日、短時間ではありましたが、縁あって紀州漆器の産地、黒江のまちを訪問することができましたのでレポートします。

紀州、すなわち和歌山は、
紀州の殿様の御膝元であり、有名な根来塗の発祥地 根来寺があるところでもあります。
漆に携わる者としては気になってはいたものの、現在の紀州漆器は漆を使っていない合成樹脂製品が多く、正直なところあまり心魅かれる品物に出会うことは多くありません。

でも実際に足を運んでみなければ、本当のところは分からない。

漆器のまち黒江は和歌山県海南市にあります。

黒い板塀が続く古い街並みは趣がありました。
ところどころ、軒先に大きなクロメ桶が飾られ、漆のまちであることが伝わってきます。
とはいえ、平日だったこともあり人の姿がほとんど見られず、決して活気があるとは言えません。
漆器屋さんも営業しているところはほんの1、2軒。
漆器問屋と思われる会社や漆器倉庫のようなところを数軒見かけました。

「木地屋」という漆器屋さんに立ち寄り、古い漆器をいろいろ見せていただきました。


紀州らしい、みかん肌の漆椀。


最近作る人が途絶えてしまったという紀州雛。

戦前までは漆器の産地として栄えていた黒江ですが、戦後は漆器の需要が減り、プラスチックや印刷の安価でカジュアルな製品へと切り替えていったそうです。
お話を聞かせてくださった「木地屋」の奥様の言葉が頭に残っています。

「そのころは、とても楽しかったのよ。女性たちが活躍していたの。」
「綺麗な模様のお盆やお椀をがんばってたくさん作ったわ。」
「本当に忙しかったけれど、とても充実していた。」

戦争が終わり、急激な経済成長の中で新しいものを生み出し手にすることが幸せだった時代。
当時はプラスチック製品が新素材として人気があり、カラフルでオシャレなデザインを自由自在に作ることができて、花形産業だったのです。

いま、私自身が残していきたいと考える漆器は、合成樹脂の塊の合成漆器ではありませんが、時代の流れの中で生まれてきた合成漆器の存在を安易に否定してはいけないと感じました。
会津でも感じたことですが、それはスピード、安価、オシャレ、女性の活躍などなど、時代のニーズに応えて生まれた産物であり、間違いなく、ひとびとの生活を支えた一端だったのです。大きな産地だった紀州漆器の事業者にとっては特に、新しい売れるモノづくりへと対応していくことは不可欠でした。

時代も、人も、産業も、まちも、生きものです。
生きながらえるためには環境の変化に適応してときに自らも変化しなくてはなりません。
昭和の黒江のまちがそうであったように。

そしていま、われわれはどのように変化していくべきなのか、改めて考えさせられる時間でした。

黒江のまちの様子は
私が旅の備忘録のために書いているブログをのぞいてください。
https://ameblo.jp/feelj/entry-12317486635.html

11月4-5日には、紀州漆器まつりも開催されます。お近くの方はぜひこの時に。
http://www.chuokai-wakayama.or.jp/sikki-k/01_matsuri.html

訪問地:和歌山県海南市黒江