南部鉄器 鈴木盛久工房

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鈴木成朗(すずきしげお)氏は慣れた様子で説明を始めた。

「とりあえず工房を見ますか。」

「うちは創業寛永2年。1625年。南部藩のお抱え鋳物師、つまり御用鋳物師が4軒あった中の一つ。」

盛久 工房

南部鉄器は現在の岩手県盛岡市に城をかまえた南部藩主が、領内に鉄・炭・漆などの鉄器に必要な材料が豊富に採れたため、京都などから鋳物師を招聘したことに始まる地場産業である。鈴木盛久工房は当時から約400年の歴史を誇る日本を代表する老舗工房である。

南部鉄器の工房は盛岡市内に十数軒あり、それぞれが全工程を一軒の工房で行う一貫生産を行っている。対照的なのが同じく南部鉄器の産地である奥州市水沢地区。盛岡から70キロほど南に下がったところにあるこのエリアでは、各工房の分業が発達し、大量生産にも対応する製造体制になっている。

南部鉄器は、現在、海外からの注文が絶えない。殊に鉄瓶の注文数が多く、南部鉄器の工房はどこも今大忙しだ。

鈴木氏に工程を見せていただくうちに気づくことがある。

鉄器の材料は言わずもがな鉄なのだが、工程の大部分を占めるのが砂と粘土を使った作業なのだ。鉄器の鋳型は砂と粘土を混ぜて作られる。鉄器表面の模様はこの鋳型が乾く前に鋳型自体につけることで生み出される。独特の肌合いを出すために使われるのは、団子状にまるめた砂と粘土だ。

使われる砂には、鈴木氏いわく、「そこら辺の砂」が一番いいそうだ。そこら辺の川の砂を数年に一度採取して、何度もリサイクルして使う。

南部鉄器の起こりは、この土地で鉄・炭(を作るための木材)・漆が取れたからだったが、ここら辺の川の砂が適していたことも幸いしたのであろう。

鋳型

仕上がった鋳型はなんとも美しい。

このまま鉄を流してしまうとただの鉄の塊になってしまうので、釜や鉄瓶に仕上げるためには中の型(中子)も必要。これもまた砂を固めて作る。

中子

外側の鋳型に中子を合わせて重ねる。そこにできたわずかな隙間に真っ赤に溶けた約1400℃の銑鉄を流す。

鈴木盛久工房の鉄瓶の厚さは約2.5㎜。

平均的な南部鉄器鉄瓶の厚さは約4㎜。

磨き上げられた手仕事にのみ可能なこの薄さは、仕上がった製品の重量に圧倒的な違いを生み出す。あきらかに軽いのだ。

軽くするための工夫はもう一つ。

鉄瓶の持ち手、すなわち弦の部分。

弦

これは弦専門の鍛冶屋さんが作った中空のもの。

南部鉄器の弦を中空で作れる職人さんはいま一人だけだそうだ。

鈴木氏の母上、熊谷志衣子氏は、女性ながらにして南部鉄器の第十五代 鈴木盛久を継ぎ、メディアでも取り上げられることの多い美しい方で、TVや雑誌で何度も拝見している。

熊谷氏が独自に生み出した型は、どこか女性らしい繊細なラインとテクスチャーが感じられ、心が洗われるように柔らかで美しい。

鈴木成朗氏は熊谷志衣子氏の次男。

東京芸術大学を出て、デザインやファッションの仕事をしていたが、その後工房に入り、歴史ある鈴木盛久工房を引き継いだ。

鈴木成朗氏

工房の店先には数々の凛とした鉄瓶、鉄釜が並んでいる。

そのなかで、どうしても目が離せない存在があった。

茶釜。羽落ちから口の付近まで丸みを帯びた段々が続く。肌は荒れ肌といっていいのだろうか。均一でない、味のある仕上げになっている。鐶付も左右で全く異なる。

こんな茶釜は見たことがない。

鈴木成朗氏がある展示会に出品するために作った作品である。

お茶の先生が見たらびっくりされるかもしれない。

でもなんというか、釜からいろいろ妄想を働かせてしまうような、ふっと笑ってしまうような。

鈴木氏はイラストやグラフィックアートも手掛ける。この釜にはいろいろ反省点があるらしい。でも私にとっては…、結論から言うとすごく好きだ。この釜に取り合わせるのはどんな茶器がいいだろう。茶碗は黒織部かな。

変化の激しいデザインやファッション業界を経験したのちに400年の歴史を背負う決断をした鈴木氏が、南部鉄器という世界を通じてこれからどんな提案をしてくれるのか、楽しみでニヤニヤしながら、その茶釜をしげしげと拝見させていただいた。

工芸は用の美であると実感する。

美を磨き上げるのは作り手だけではなく使い手の役割も大きい。次に鈴木氏の作品に出会ったとき、それを使いこなせる自分でありたいと思う。

訪問先情報

鈴木盛久工房

鈴木盛久工房は、現在南部特有の伝統技法をもって、茶釜、鉄瓶、その他の鉄器の制作を致しております。