木次のさくら染め工房

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桜。これほど誰しもに愛される花は他にあるだろうか。

花見といえば桜の花を意味するほど、日本にとって親しみのある存在であり、春の訪れの象徴でもある。

桜の名所は日本各地に多く点在するが、島根県雲南市木次町(きすきちょう)にある斐伊川堤防桜並木もまたそのひとつ。ヤマタノオロチを思わせる斐伊川の流れに沿って延々と続いている。

斐伊川堤防の桜並木は明治の初めに木次町の人の手によって植えられた。

その後、幾たびもの災害、戦争、護岸工事などによる伐採の危機に面するが、再び地元の人々の手によって守られ、いまなお引き継がれている。

この美しい桜を活かす素敵な工房がある。

木花工房

さくら染め 木花工房(このはなこうぼう)。

女主人、吾郷康子さんがにこやかに迎えてくれた。

Ms. Ago

吾郷さんが工房を始めたのは7年前。

実はそれまで、地方議員に選出されたご主人の会社を引き継ぎ、女性社長として手腕をふるっていた。企業経営だけではなく、男女共同参画や地域振興などに長年にわたって貢献してこられた吾郷さんが、いま、自らが愛し、地域が誇る桜を活かした桜染めにいそしんでいるのは自然なことなのであろう。

桜染めといえばいわゆる桜色が思い浮かぶ。

実はこの色、花から染まるのではない。桜を世話する桜守は花が咲く前の冬場のうちに小枝を剪定する。この小枝から桜の色素が出るのである。以前、手入れのたびに大量に出る剪定枝はそのまま廃棄されていた。吾郷さんは花としては咲けなくなったこの枝を譲り受けて、美しい桜染めとして生まれ変わらせている。

木次の桜は種類が多い。また、同じ桜の木からも毎年同じ色素が採れるわけではない。これが楽しみでもあり、製品として作るためには苦労の種でもある。ある程度安定した理想的な色を出すために、もしくは新しい色を出すために、吾郷さんの試行錯誤は常に続いている。

工房には棚いっぱいに様々な色の染液が並んでいた。

桜染はいわゆる桜色だけではない。葉からは茶色やベージュが、樹皮からはオレンジ色が、木の芯を鉄焙煎するとグレーが、等々、簡単にあげただけでもバリエーション豊かである。不思議と桜染めは日本人の肌によく似合う。チェリーピンクからサーモンピンク、オレンジなど様々なグラデーションがあって、必ず自分に似合う色を見つけられる。

colors

工房ではハンカチの桜染めを体験させていただいた。

幸運にも梅雨の晴れ間の心地よいお天気。庭先のベンチに座ってゆっくりゆっくり流れる時間は何とほんわか幸せなことだろう。

ハンカチが入ったピンク色の染料は70℃ほどの熱い湯である。それを覗き込みながら染むらができないように絶えず20分ほど動かし続けるのだが、湯気を顔に浴びて曲がりなりにも女子(オナゴ)としては、この作業はエステ効果があるのではないかと余計な期待をしたりする。

これはあながち妄想ではないかもしれない。なぜなら、桜エキスには美容効果があるらしいからだ。この辺りの情報に疎い筆者が詳しいことを記すのは避けるが、実際に桜エキスを取り入れた化粧品は存在するし、何よりも吾郷さんの手がつるっつるなのだ。

とはいっても、そもそも吾郷さんは日々桜エキスと格闘している。ほんの数十分、ぼーっと桜液の湯気を浴びた程度であの美しい肌を手に入れられるはずあるまい。

それにしても、根気のいる作業である。今回の体験は小さなハンカチだが、吾郷さんの製品は大判のショールもあれば、バッグ用の厚生地もある。絞り染めもあればグラデーションも染める。結構な力仕事だ。

一方、我々の小さなハンカチは、吾郷さんの的確な指導でじきにむらなくきれいなピンク色に染まり、庭の畑に面した軒先に干されてのどかに風に揺れていた。

桜染め体験

ちなみに木花工房の製品は染物だけではない。桜の塩漬けに桜ジャム。これがまたこだわりの逸品なのだ。

塩漬けは姿が美しく、程よい塩加減が絶妙で、ほとんど塩抜きがいらないほど。ずぼらな筆者にもぴったりだ。

桜湯

桜ジャムは上品な甘さと香り。ほんのり桜色はスパークリングワインに浮かべればうっとりすること間違いない。

塩漬けもジャムもすべて手作業のため限られた数量しかできないとのことだったが、その工程を聞いて驚いた。

世の中が花見に明け暮れている頃、工房のメンバーは大量の花を採取し、花を吟味して塩漬け用、ジャム用に仕分けする。

塩漬け用の花は桜茶にした時に美しく開くように、一輪一輪丁寧に干していく。

ジャム用は花びらのみを使うので、おしべめしべが混ざらないように丁寧に花びらを取る。

美しい製品に仕上げるためには花が傷む前にやり終えなくてはならない。工房には地域の女性たちが交代で集まって作業をしている。こんなときはスタッフ総出で夜なべ仕事だ。

吾郷さんと接していると、仕事とモノづくりの厳しさ、大変さを教えられる。しかし同時に、それを乗り越えたときに得られる溢れんばかりの幸福感、木次の桜への愛情が伝わってくる。

つねに自然体で、困難にぶつかればつらいとも思う。でも目的のためにはあきらめずに必ず乗り越え、美しい製品を創り出している。

何度も危機を乗り越え、地域に愛されて、毎年美しい花で訪れる人々を包み込む木次の桜の姿と重ねてしまうのは筆者だけだろうか。

桜相手の仕事は根気がいるし、重労働。桜の花や枝が大量に到着するときは体力勝負。それでも工房には活気と笑顔があふれているに違いない。

吾郷さんの明るさに包まれているようなショールは、使うたびに幸せな気持ちになれる。

scarf

体験と取材を終えて、近くの奥出雲葡萄園レストランで吾郷さんとランチをご一緒した。奥出雲ワインに地元の野菜を堪能した後、特別に出していただいた桜アイスは超絶品だった。木花工房の桜とともに、知る人ぞ知る木次乳業のミルクが使われているらしい。木次とは、なんと豊かな土地だろう。

icecream

<訪問先情報>

さくら染め 木花工房