木と生きる  (奥永源寺 木地師の里 訪問)

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漆器の多くは木地に漆を塗り重ねて作られます。漆器の顔ともいえるお椀は木材をろくろで挽いて成形する木地師という職人の技を必要とします。

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かつて木地師は全国に多く散在していましたが、現在ではその数は減り、石川県の山中(やまなか)が代表的産地として知られています。
その山中の職人たちも含めて、ろくろ発祥の地という伝説とともに木地師たちがふるさととして思いをはせる場所が、滋賀県の奥永源寺にありました。

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琵琶湖のほとりから山道をくねくねと上がっていくと永源寺ダムがあらわれます。その先が、奥永源寺と言われる地域です。ダムの水源、愛知川(えちがわ)に沿って道はさらに続きます。川は美しい渓流となり、木々の緑が一層濃くなっていったその先に、木地師のふるさとがありました。

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さかのぼることおよそ1200年前、時の天皇の第一皇子、惟喬親王(これたかしんのう)が政権抗争にやぶれ、命を狙われて逃れ逃れてたどり着いたのが山深いこの土地でした。
惟喬親王が住まわれ、轆轤の技術を考案して民に伝えたという謂れが、蛭谷(ひるたに)と君ヶ畑(きみがはた)という隣り合う二つの集落に伝わっています。

この地に生まれた木地師たちは、やがて木と仕事をもとめて東北から九州まで全国へと散らばっていきます。千年の時を経てもなお、現在でも多くの木地師たちがこの地を自らのルーツとして考えているのです。

蛭谷にある木地師資料館には、平安時代の古文書が残されています。また、越前、会津、山中、三河、信州、山陰など、全国各地の木地師からの寄贈作品も展示されています。
資料のなかに、承平5年(935)に書かれた朱雀天皇綸旨(りんじ)という文書があります。そのほか、信長の頃の免許状もありました。これは関所を超えることが難しい時代に木地師たちが良材を求めて全国どこへでも行って仕事ができるよう許可したもの。八合目以上であればどの領地の山であっても木を伐ることができました。

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じつはこの平安時代の古文書、偽物であるという説もあるそうです。しかし、たとえ偽物であってもこれをもって木地師たちが山を越えて時代を超えて生業を続けてきたことはまぎれもない事実です。

木地師資料館の隣には筒井神社があり、木地師の始祖、惟喬親王を祀っています。資料館に保管されているもう一つの重要資料「氏子狩帳」または「氏子駆覚」。全国に散らばっている木地師たちを筒井神社の氏子とみなし、東北から九州まで訪ねて台帳につけていっているのです。

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記帳するだけではなく、初穂料を徴収する。収入が多ければ金額が大きく、逆に生計維持が困難であればお金を貸し付ける。今でもたくさんの借用書が残っているのだそうです。

筒井神社は蛭谷の山のなか。ひんやりとした森の斜面にありました。入り口には惟喬親王像が鎮座していて、境内の傾斜に流れる小川は美しく整備され、毎年行われる祭りのための舞台もありました。

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一方、蛭谷からもう少し山を上がると君ヶ畑の集落が出てきます。大皇器地租神社(おおきみきちそじんじゃ)があり、こちらもまた惟喬親王を祀っています。

大皇器地祖神社は集落を見下ろす小高い開けた場所にありました。参道の両脇には畑が広がっていて人々の暮らしとまさに隣接しています。境内に入ると天に向かって伸びるたくさんの杉の木が、この神社の神聖さに迫力を加えていました。

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昔の木地師は木を挽くだけではない。木を伐るところから始まります。山に入り、まずは神様にお供えをして挨拶をする。山の仕事は命がけ。ご神木は切らないように、山の神様が怒らないように、自然と対話をしながら山のめぐみを分けていただいていたのでしょう。伐る一方ではなく、苗木も植えて手入れをします。下草を刈り、日当たりをよくして森を育ててきました。

残念ながら現代はこの地域でも、祈る習慣はほとんど無くなってしまいました。

日本の木は外材に押されて需要が落ちてしまい、放置される山が増えています。山が荒れ、がけ崩れが増えていること、動物たちが山を下りて人里を脅かし始めていること。それは日本人が山と生きる、木と生きることの大切さをおざなりにしていることと無関係であるとは思えません。

昨今、実は木地師が足りていません。腕のいい木地師は石川県の山中に多いのですが、山中の工房では仕事がキャパシティを越えてしまっているのです。蛭谷にも君ヶ畑にも木地師はほんの数件しかありません。

しかし、ある工房の息子さんが山中に修行に行っているという話を耳にしました。奥永源寺地区も‘モノづくりの整地’として地域おこしに取り組んでおり、若い木工作家たちが移住してきているのだそうです。

ふたたび日本が木と暮らす木の文化を開花させて、この奥永源寺が1000年の時を超えて日本の優れた木地師を輩出するような地域に返り咲いたらどんなにすばらしいだろう。

大皇器地租神社の参道に駆け抜ける清々しく少し不思議な風と気を感じながら、ふとそんな思いがよぎりました。

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